ぼくのかんがえたさいきょうのサントラ ~仮想ゲームサントラとは何か?~
2021-06-10 種々雑多 ウンディーネ

萌尽狼がこれまでの音楽活動を振り返り 仮想ゲームサントラとは何か? について語り尽くします。

メモ
いらすとや ⇗からのイラスト

こんにちは。同人音楽サークル kaguyadepth カグヤデプス 代表の萌尽狼 もえつきろ です。

2021 7 4 日に ウンディーネ 仮想ゲームサントラ というシューティングゲーム風の新作 CD を頒布開始予定です。

そこで今回は これまでの音楽活動を振り返り 仮想ゲームサントラとは何か? について語り尽くします。

ぼくのかんがえたさいきょうのサントラ

仮想ゲームサントラは いうなれば ぼくのかんがえたさいきょうのサントラ です。

シューティングゲームだったら ステージ BGM とボス BGM ステージの数だけ繰り返しあって ステージクリアのファンファーレや ストーリーを盛り上げるオープニングやエンディングがあるとなおいいですよね。

RPG だったらイベントシーンがあって街があってフィールド画面があって 通常バトルがあってダンジョンがあってボスバトルがあって 笑いあり涙ありのストーリーが展開していくわけですよね。

対戦格闘ゲームだったらキャラクターセレクトがあって キャラクターの数だけテーマ曲とエンディングがありますよね。
世界中から猛者が集まるから国際色豊かな曲調になりますよね。

そういった 想定するゲーム にあってさえすれば 既存の楽曲の寄せ集めでも仮想ゲームサントラは成立します。
なにもすべてがオリジナル曲である必要はないのです。

ただし個人で楽しむうちはそれでもいいのですが 作品として世の中に発表するならなるべくオリジナル曲のほうがいいですよね。

架空のゲームを想像しながら聴く音楽

そして仮想ゲームサントラというのは 架空のゲームを想像しながら聴く音楽 です。

ゲーム音楽史研究家の田中 hally 治久さんによれば 1986 6 21 日発売のカセットテープ ファミコン必勝攻略サウンド がおそらく初めての 架空のゲームを想像しながら聴く音楽 なのだそう。

そもそも日本初のゲームサントラで細野晴臣プロデュースの ビデオ ゲーム ミュージック 1984 4 25 日発売 はプレイ中の効果音入りであり 当時はこれを聴いてイメージトレーニングしたり サントラと同じタイミングで効果音が鳴るようにプレイした人がいたそうですから ゲーム音楽はもともと ゲームを想像しながら聴く音楽 なのかもしれません。

ゲームを知っている人は音楽を聴きながらゲームを思い出し ゲームを知らない人は曲調や音色からどんなゲームなのか想像して楽しむことができます。

私も知らないゲームの音楽をたくさん聴いて育ちました。

ゲームづくりはかんたんじゃないけど音楽だけなら

スーパーファミコンの RPG ツクール デザエモン あたりからゲームを作る遊びというのが一般にも広まっていきましたが なんとなくゲームの形になっているだけでなく 誰もが面白いと思えるゲームを作ることはかんたんなことではありませんね。

スーパーファミコンはコンポジット出力と RF 出力が同時に利用できましたから 片方のモニターを 90 度倒して デザエモン でオリジナルの横スクロールシューティングゲームを作ろうとしていたこともありましたが ドット絵を起こすためのイラストを描いたり ストーリー設定をふくらませた小説を書いたりする方にハマってしまって 結局タイトル画面すら完成させられなかったんじゃないかな。

その小説には後で曲を付けて その頃にはセガサターンの デザエモン 2 やプレイステーションの デザエモン Kids! Windows シューティングツクール 95 など横スクロールシューティングゲームを作れるソフトも出揃っていたんだけど ゲームサウンドクリエイターになりたくて上京したあとだったので すっかりゲーム音楽を作ることに夢中でサンプルゲームで遊ぶだけでした。

ゲームを作ることはかんたんじゃないから仮想ゲームサントラを作っている側面はあるのかもしれません。

思い描いたゲームを伝える難しさ

音楽 CD をバラすとケースをのぞいて レーベル ジャケット インレイ キャップの 4 つのパーツに分けられます。

今でこそジャケットさえあれば音楽配信できますが 音楽 CD は意外と印刷物が多いのです。
その印刷物にはタイトルや曲名以外の情報を入れることができます。

仮想ゲームサントラの場合 CD がゲーム音楽的であれば それだけで作品としては成立しているので 想定するゲーム に関する説明は必須ではありません。

最低限 RPG とか シューティングゲーム風 といったジャンルがわかれば あとはジャケットイラストからどんなゲームか想像をふくらませていくことができるでしょう。

この RPG やシューティングゲームというのは過去に流行ったジャンルでゲーム画面もある程度共通しているので ゲームを遊んだことがある人どうしならジャンルだけである程度の意思疎通を図ることができますが マイナーなジャンルや複雑なゲームシステムは仮想ゲームサントラでは伝えることが難しいです。

なので仮想ゲームサントラは類型的なジャンルで作ることが多いのです。

音楽はオリジナルだけど二次創作?

私はこれまで 想定するゲーム は二次創作だけど CD はほぼオリジナル曲という仮想ゲームサントラを作ることが多かったのですが 創作オンリー同人即売会のコミティアに出るようになると 想定するゲーム をどのくらい CD に盛り込むかで頒布できるかできないかが変わってきてしまうことに気づいたのです。

たとえば二次創作が部分的 ジャケットだけとか CD の半分未満とか なら 二次創作が含まれています と注意書きをすれば頒布可能ですが CD が全曲オリジナルでも 想定するゲーム が二次創作の場合は作品全体が二次創作とみなされ コミティアで頒布することができなくなるというジレンマがあります。

今作はもともと二次創作としてスタートしましたが CD に付帯するジャケットやストーリーは完全にオリジナルとして独立させました。
元の二次創作部分はわかる人にだけ楽しんでもらえればいいかなと思っています。

音色の魔力

私はゲームボーイ音源で 15 年以上曲を作ってきた弊害で直感的に思い描いた曲をまとめられるのがゲームボーイ音源になってしまいました。

ところが今作は元ネタが FM 音源だったので FM 音源を避けて通るわけにはいきません。

最初から FM 音源で作れればよかったんでしょうが しばらく FM 音源で作ってなかったので FM 音源で作ろうと思ったら手が止まってしまいまして。
これではいけないということでまずはゲームボーイ音源で作って それから FM 音源にアレンジすることにしました。

このように 想定するゲーム には音色が紐付いていて その魔力が絶大ということもあるのです。

ゲームボーイ音源の場合よく言われるのが ポケモンっぽい とか ロックマンっぽい という感想ですね。
これも音色の魔力です。

作ったものがポケモン風やロックマン風の仮想ゲームサントラだったら好印象なのですが 困ったものです。

ボタン数が合わない問題

ゲームボーイはファミコンや PC エンジンと同じ十字ボタン A B ボタン スタート セレクトボタンの 5 ボタンです。

なのでゲームボーイ音源の曲を聴いた人はゲームボーイで操作できるゲームを思い浮かべます。

ところが仮想ゲームサントラが 想定するゲーム が複雑で 6 ボタン以上使うゲームだったらどうでしょう?

ゲームボーイなのにボタン数が合わないから操作できないじゃないか! と考える人も出てきてしまうのです。
これも音色の魔力です。

スーパーファミコンのゲームを想定しているのであれば スーパーファミコン音源で作ったほうが齟齬が生じにくいのですが ファミコンやゲームボーイの音源で作りたいことだってあるんですよね。

個人が1枚から音楽CDを作れる時代

M3 が初めて開催された 1998 年頃の出来事といえば CD-R ドライブ メディアの低価格化と 音声圧縮フォーマット MP3 の普及でしょう。

パソコンの音楽機能が強化され 個人が 1 枚から音楽 CD を作れるようになり またインターネットを介して音楽をやり取りすることが容易になっていきました。

私は 4 連装 CD-ROM ドライブ内蔵の CanBe PC-​9821Cu16/HA2 を持って上京した関係で ゲームスクールを卒業して自作 PC に切り替えた 2000 年まで CD-R で音楽 CD を作ることはできなかったのですが その頃にはどのメーカーのドライブ メディアが音楽 CD を作るのに最適かといったノウハウがインターネット上に蓄積されていました。

ところがミツミ撤退あたりから暗雲が垂れ込みはじめ 太陽誘電撤退によって市販 CD-R で音楽 CD を作ることは絶望的になってしまいました。
現在は太陽誘電を受け継いだ CMCpro など数えるほどしか使えるメディアがありません。

M3 より前はカセットテープや MD 演奏データを記録したフロッピーディスクなどで音楽作品を頒布していたようですが CD-R の普及が同人音楽ブームを後押ししたのではないでしょうか。

コナミレーベル・インフォメーション

1992 3 25 日発売の 沙羅曼蛇~Again~ コナミレーベル インフォメーション の案内が掲載されていて そこから担当のさゆ鈴さんとの文通がはじまりました。

もともと学級新聞を作るのが好きだった私は 手紙とは別に吹奏楽部のニュースや関心事などをワープロでまとめて送っていたのですが それが現在の同人活動のルーツです。

私が最初に立ち上げた個人サークル EDIA LABEL コナミレーベル インフォメーション終了を埋め合わせるようにそれを模倣したものとなっており つまりはゲーム音楽レーベルごっこだったのです。

EDIA LABEL とほぼ同時期に誕生したオリジナルキャラクター粳麻唯も ウィンビーや藤崎詩織に影響を受けたバーチャルアイドルという位置づけでした。

当初は粳麻唯を中心とした ウルチメディア 後にアルティメディアに改称 のオリジナル曲を発表しようとしていましたが ほどなくゲーム音楽アレンジもやるようになり やがて仮想ゲームサントラを作るようになっていきます。

そして今年は DTM 25 年の節目の年です。

打ち込み初体験

私が打ち込みを始めたきっかけは中学校に導入されたばかりの FM TOWNS の楽譜ワープロ MUSIC-PRO TOWNS で東亜プラン ヘルファイアー READY TO GO を毎週水曜日の放課後に 1 時間だけ全員参加の一般クラブ活動で半年かけて打ち込んだことと

レンタル CD から書き写した楽譜を打ち込んだだけでテンポや音色はデタラメ。データや録音は残っていない

その後おもちゃのバンバンで安売りされていたファミコンディスクシステムの オトッキー でつまらないシューティングゲームをクリアすると使えるたった 4 小節のループシーケンサーで手持ちの楽譜を手当たりしだいに打ち込んで遊びはじめたことでしたが

その遊びにいっそう夢中になったのがスーパーファミコンで 1994 9 30 日に発売された 描いて 作って 遊べる デザエモン この頃から少しずつオリジナル曲を作るようになっていきました。

ちなみに当時流行った マリオペイント での作曲は コナミのグラフィックコンピュータ ピクノ 2 を買ってしまったため未体験です。

デザエモン

デザエモン は縦スクロールシューティングゲームのグラフィックや敵配置 BGM を作り変えて楽しむかんたんなゲーム作成ツールですが シューティングゲームにはタイトル ステージ ボス ステージクリア エンディングに合った曲が必要だということは デザエモン から教わったようなものでした。

既存の楽曲を打ち込んで アレンジで曲の雰囲気を変えて各場面に当てはめていくだけでもゲームになりますが それだけでは思い描いたとおりのゲームにはならなかったのでオリジナル曲も作ったのでしょう。

また オトッキー デザエモン はセーブできる曲数が限られているため 作った曲はカセットテープに録音して気に入った曲だけデータを残してまた次の曲を打ち込んでいたのですが そのカセットテープをくり返し聴いて楽しむうちに 次はこんな曲を入れたいと思うようになっていきました。

別のカセットテープに曲順を変えてダビングしてサントラ風にして楽しんだこともありました。
既存の楽曲とオリジナル曲が並んで収録されることは快感でもありました。

OMY

1993 11 22 日放送の NHK 教育テレビ 天才てれびくん YMO ライディーン を知り

当時ゲーム雑誌でも再生 YMO が話題となっていたため 6 20 日に NHK 衛星第 2 で放送された YMO コンサート は録画してあり また WOWOW ノンスクランブル放送の アトムの気持ち もたまに観ていました

同級生に坂本龍一ファンの djkb 君がいたことも手伝って YMO を聴くようになったのですが

元ナムコ社員による YMO パロディー Oriental Magnetic Yellow (OMY) がサイトロンからメジャーデビューしたことをきっかけに細江慎治さんのゲーム音楽もよく聴くようになり

ただし F/A はそうとは知らず話題になったときに買ってよく聴いていた

自分でも食にこだわる YMO パロディー Yoghurt Mousse (YoM) を作って M3 のトルバドールレコードに持っていったりしました。

そこで細江さんになかなか会えない私の話し相手になってくださったのが元 ZUNTATA の古川典裕 なかやまらいでん さんだったりするのですがそれはまた別のお話。

OMY 1st アルバム メジャー盤では 2nd SONIC SKATE SURVEYOR は中期 YMO の延長線上にあるオリジナル曲だったので仮想サントラの一種と考えることもでき 私の活動に少なからず影響を与えていると思います。

プロジェクト・イース

さて中学 高校とラジオドラマ ツインビー PARADISE にハマって D.W.B.C. ワルモン博士後援会 という同人サークルを結成して ザコビーパラダイス というパロディーを作って仲間内で聴き回していたのですが 回を重ねるとこちらもオリジナル曲が必要になってきました。

そうすると オトッキー デザエモン では作れないものが多くなり 音楽ツクール for Windows ログイン版 Music Magic カシオ 日曜音楽 SZ-50N GM 音源 GZ-50M 同梱の DTM パッケージ を使って本格的に DTM を始めました。

そして上京後ではあるのですが ともに DTM をやっていたアキヒロ君からこんなものがあると送られてきたのが mushi.net プロジェクト イース 1997 プロジェクト ツインビー 1998 だったのです。

これは MIDI 深井淳 さんが制作した イース ツインビー の仮想続編サントラ CD です。

マネシス’99改

これに触発されて作り始めたのが 沙羅曼蛇 2 エピソードⅡ でした。

MIDI 虫さんに誘われて M3-2000 春に一般参加し 同年秋からサークル参加するようになりましたが 翌春の M3-2001 春から ステイリゼル に改題しました。

どうして改題したのかというと理由は 2 つあって ひとつは初参加の M3-2000 秋で飛ぶように売れてしまい 沙羅曼蛇 2 というタイトルを使ったことに負い目を感じたことと

もうひとつは魚人様さんが作った MSX 版グラディウス風のフリーゲーム マネシス’99 がコナミの警告を受けて公開中止になってしまい グラディウスの二次創作界隈がざわついていたことです。

マネシス’99 以前にもこつえーこと駒都えーじさんがいたサークル CO2-PRO が制作した ガルディウス’95 など多数のクローンゲームがあり マネシス’99 はコナミ法務部による見せしめの犠牲になったのではという見方が強いのですが 私は完全に震え上がってしまいました。
ただし今のところおとがめなしです。

今作をオリジナルにしたかった理由の発端でもあります。

ブロークンサンダー

ステイリゼル M3-2001 秋で完結したあとは M3 やコミケに毎回参加して MIDI 虫さんたちと親交を深めつつ 互いに仮想続編サントラを作りあっていたのですが MIDI 虫さんは ドラゴンプロジェクト 2006 を最後にオリジナル曲へと完全にシフトしてしまいました。

音楽 CD が売れなくなる中で同人音楽に注目が集まり M3 も規模が大きくなって会場の移転先を探していた頃ですが この頃問題になったのがサンダーフォースの続編を謳った同人ゲーム ブロークンサンダー 2007 の販売停止騒動でした。

私はメガドライブのサンダーフォースⅡ~Ⅳは遊びましたがⅤ以降についてはまったく状況が把握できておらず経緯はよくわかりませんが 元が九十九百太郎さんが作った仮想サントラであったこと考えると 先に仮想サントラとして発表したものは安易にゲーム化してはいけない という教訓を残した事件でした。

なぜなら仮想サントラは聴いた人の数だけ脳内に思い浮かべたゲーム体験があり その理想を現実のゲームが上回ることは不可能だからです。

エクステイリゼル

2006 年の冬コミで頒布した えでぃあ すぺしゃる みゅ~じっく 萬両箱 ~活動満了記念~ をもって EDIA LABEL が活動満了して 翌年から ASIA LUNAR にサークル名を変更しましたが このとき引き継いだプロジェクトが ステイリゼル PSP 版を想定して完全リメイクした エクステイリゼル でした。

エクステイリゼル ではロックからダンスへ曲調を沙羅曼蛇 2 っぽくアレンジし直したり 沙羅曼蛇 2 の未使用曲などグラディウスシリーズのマニアックなアレンジを中心にしてオリジナル曲を少なくしたり ヤフオクでダミーケースを入手して実際に PSP 風のパッケージを作ってみたりとそれまでにない試みをいくつか行っていますが 特に DVD トールケースの中に取扱説明書風のぶ厚い解説書を入れた PSP には入らなかったので CD PDF で入れた ことには 設定資料がウェブ上にあり それをリニューアルや移転と称して散逸させてしまった過去への反省がありました。

これは今作の解説書でも CD 単体で作品が完結するよう必要な情報はすべて載せようという方針につながっています。

鏡音リン・レン

また 2007 年はビックバイパーが登場するテレビアニメ スカイガールズ が放送され そして VOCALOID2 初音ミク が発売された年でした。

スカイガールズ版ビックバイパーのプラモデルとほぼ同時期に発売された鏡音リン レンを私は買ったのですが 初音ミクのヒットによる同人音楽と DTM 界隈の変容には目を見張るものがありました。

乗るしかない このビッグウェーブに! というヤツです。

2008 年春の M3-大阪で発表したカプコン 19 シリーズ風仮想サントラ 加賀峰 かがみね プレイステーション版 蒼穹紅蓮隊 黄武出撃 風のオペレーター演出入り つまり新世紀エヴァンゲリオンの伊吹マヤ風 という一部の人にしかわからないマニアックなネタがウケてしまい 私を完全に勘違いさせてしまいました。

その後池澤春菜さんの音声素材集 Mac 音ナナ 2014 年発売の VOCALOID3 マクネナナ のルーツ にハマったんですが 同ネタで続編の 播嶺 まくね はあまりウケなかったんですね

東日本大震災

2011 3 11 日は大泉学園のオペラハウス ファミリーソフト で編集アシスタントをしていました。

この頃翡翠の立ち上げに奔走していた梅本竜さんともすれ違っていますが 面識が薄かったので挨拶のひとつもできなかったのがいまだに心残りです

電車が止まってしまったためその夜はひとりで会社に泊まったのですが 暇をもてあまして作っていたのも FMPSG015 -いちご- 収録の仮想ゲームサントラでした。

ビバリウムで GC 大玉 PS2 シーマン 2 ~北京原人育成キット~ に関わって多忙だった 2005 年夏からの 1 年間にも GBA 版雷電風 蕾電伝説 つぼみでんでんせつ やもうひとつの沙羅曼蛇 2 をつくる 0th4th:revive ゼロスフォース リヴァイヴ といった仮想ゲームサントラを作っていましたし 私はどこか仮想ゲームサントラを作ることを心の支えにしているところがあるのかもしれません。

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